4■水曜日のラブシック
「ルカちゃんと一緒に登校したって、ほんと?」
最初は、俺に話しかけていると気づかなかった。
右隣の席のショートカットから話しかけられたのだ。
奇跡。
交流したいと思いながらも自分から声をかけることはないヘタレな俺に、まさか彼女の方から近づいてくれるとは。
彼女はショートカットなのだがボーイッシュというわけではなく、童顔でとても可愛らしい。下の名前が、ひらがなで『ゆるめ』という、なんともゆるい子だ。
ああ、記念すべき初めての会話。が、なぜ瑠果の話題なんだろう。まあいいか。
「まあ、そうだけど」
俺はにこやかに答えた。
「ほんとなの!? 信じられない」彼女は両手で口を押さえた。「ルカちゃん、やっぱりマヒロくん狙いなんだ」
「あ? なんだ、狙いって」
「私、負けないから」
「え、なんの話?」
ゆるめちゃんは、ちょっと怒ったような可愛らしい表情でそっぽを向いてしまった。
なんの勝負に負けないと意気込んでいるのか見えない。
あれ、そういや、なんで俺が瑠果と登校したことを知ってるんだ?
「男子たちがね、騒いでたの」
ゆるめちゃんはそっぽを向いたまま教えてくれた。高くて可愛らしい声がよく通り、問題なく聞き取れる。
「ルカちゃん、キレイだからモテるじゃない? 男子たちが嫉妬に狂ってたから、イジメの対象にならないように気をつけてね、マヒロくん」
ああそれにしても可愛らしい声だ。声優になったらいいんじゃないかと思う。
……え? イジメの対象? 俺が?
「ルカちゃんが、高嶺の花として扱われてること、知らないの?」
「やめてくれよ、俺は電車で偶然会ったから一緒に来ただけで」
「偶然?」
可愛らしくも鋭い目つきで、ゆるめちゃんは俺を睨んだ。
「そんな偶然、あると思う?」
音程も音量も低めた可愛らしい声で、ゆるめちゃんは問う。
「仕方ないだろ、会っちゃったんだから。てか、あいつ、俺ん家の近くに引っ越したらしいから、会うのも不思議じゃ……」
「引っ越したあ!?」素っ頓狂な可愛らしい声を上げて、ゆるめちゃんはガタンと立ち上がった。「ルカちゃん、そこまでして!?」
え。
おとなしい、可愛い、というイメージがちょっと崩れた。
「いや、あの、落ち着け」
「落ち着いてなんぞいられますか。これは一大事。私もマヒロくんのそばにおりませんと、奪われちまいますわ!」
ゆるめちゃんは拳を握った。瞳がメラメラ燃えている。イメージがさらに崩れた。
「お、お前、さっきから何言ってんだ?」
「せっかく隣の席をゲットしたのに、ルカちゃんは諦めるどころか本気モードですね。くっそぉ。こうしちゃおれません。私もマヒロくんにひっついて離れぬよう策を練らねば」
「お前、そんなキャラだったのか? なんだその喋り方」
「マヒロくん、ルカちゃんと付き合ってるわけじゃないのですよね?」
「え? 当たり前だろ、そんなんじゃないって」
「でしたら」
ゆるめちゃんは、可愛らしさから想像もつかない力で俺の胸倉を掴んだ。
「私と付き合いなさい」
ゆるめちゃんが素っ頓狂な声を上げたところで、クラス全員がこちらに注目していたために、男としてはあまり喜ばしくない場面をみんなに見られてしまった。
交際を命令されるとは。
俺はOKの返事などしていないのに、教室内からパラパラ拍手が起こり、大喝采になり、なんだかよくわからないうちに公認のカップルということにされてしまった。
ちょっと待ってくれ、という俺の話を誰も聞いてはくれなかった。
冷たい視線が刺さると思ったら、瑠果が俺を睨んでいた。ゆるめちゃんとは比にならないほど恐ろしい目だった。眼力で殺されるかもしれないと思ったのは初めてだ。
しかし睨まれる理由がわからない。俺が首を傾げると、瑠果はフンと顔を背けた。
「いい? 付き合うってことは、できるだけ一緒に行動するってこと。離れてるときも常に連絡を取り合うようにすること。誰とどこで何をしているか逐一報告すること。何かあったらすぐに助けを求めること」
昼休み。俺はゆるめちゃんと一緒に昼を食べていた。もともといつも一人で食べていたところに、勝手にゆるめちゃんが机をくっつけてきたというだけだ。
「いろいろ突っ込みたいところだが、特に最後のはなんなんだ」
俺の問いに、答えはなかった。
ゆるめちゃんは少女らしくて魅力的だと思っていたのだが、可愛らしい声や仕草や表情とは全然かみ合わない内面を持ち合わせているようだ。
ていうか、俺は本当に付き合っちゃっていいのか。
そりゃあ、初めて見たときから可愛らしい子だなあと思ってはいたが、なんなんだこの急展開は。初めて喋ったその次の瞬間にこんなことになるなんて。しかも思ってたのと違う。キャラが。
携帯の番号やメールアドレスを交換しようと「赤外線で♪」と言ってきたゆるめちゃんに、「ごめん、今日携帯忘れた」と答えたときの形相といったら。今まで知らなかった部分を突然見せられて、俺は動揺していた。
「あの、ゆるめさん」
「彼ピなんだから呼び捨てしてよー」
いきなり純粋に可愛らしい顔でお願いされた。
「……いや、あの、付き合うってこと自体、俺まだ」
「呼び捨て……」
うるうるな目で見つめられる。
俺は頭を抱えた。
可 愛 す ぎ る
可愛らしいのだ。まじで。俺の好みの幼さなのだ。同い年とは思えない童顔。低身長。ショートカット。高い声。やばいのだ。妹とかぶる。
しかし。中身がおかしい。
可愛いからといって若干ズレたキャラを許せるか。いや、これは若干と言えるのか。なんなんだ。なんなんだこれは。こんなに可愛いのに何がいけないのか。じゃなくて。違う。違う違う。落ち着け俺。
可愛いから、有無を言わせず拒否、ができない俺。でもこれは付き合うことを拒否すべきなんじゃないか。でも可愛いのだ。でも。でも。あああ。
ていうか、
「俺の何がいいの?」
訊いてみた。
ゆるめちゃんは真顔で答えてくれた。
「その質問、雑誌でよくある『彼氏に言われたくない言葉ランキング』の常連だよ」
「え、うそ、なんで?」
「ウザいから」
「……」
「でも勘違いしないでほしいのだけど、マヒロくん。私、マヒロくんのこと、いいと思ってないよ」
五秒ほど時が止まった。
「……はい?」
愕然としてゆるめちゃんを見る。
なんだ今の。今の日本語か。コクった本人の口から発せられる言葉か。
「あ、あのね、そうじゃなくて」
はっとしたゆるめちゃんは、困ったように笑いながら、慌てて箸を振った。
「あのね、あのね、だからつまり……一緒に歩くの恥ずかしいから、もうちょっとかっこよくなってほしいなと思うけど、別にマヒロくんその人を否定してるわけじゃ」
「……」
「あっ、あっ、そうじゃなくて。あれだよ、今、育て恋っていうのが隠れブームでね、いや、けっこう前に雑誌で紹介されてて今はもう廃れてるかもしれないけど、自分好みに彼氏を改造……いや、あのね、そうじゃなくて、うん、」
「好きでもない男と付き合うって、どういう目的なんだ?」
俺はもう怒りとか呆れとかを通り越して、平常通りになっていた。
「言っとくけど、金目当てなら別の奴探したほうがいいぞ。勉強できないから将来有望でもないし、色恋沙汰とは無縁の生活してきたから付き合うってどういうことかもイマイチわからんし。自分で言うのも哀しいけど、付き合っても何も得しないよ」
「それは判ってる」
言葉でグサリと胸を刺された。なんだよそれ。
「でもね」
ゆるめちゃんは俺の目を真っ直ぐに見た。
そして真面目な顔をして言った。
「マヒロくんは、特別なの」
ゆるめちゃんがトイレに行った隙に、瑠果が近づいてきた。
「随分と短時間で親密になったのね」
「俺もびっくりだよ」
「でしょうね」
なんだそれ。
「あ、そういえば俺、気になってたんだけど。今朝ゆるめちゃんが、」
「もう下の名前で呼び合う仲なの? 呆れたわ」
「いや、俺はもともと下の名前で呼んでたぞ」
脳内でな。ちゃん付けでな。だってゆるめちゃんにはそれが似合うと思っていたんだから。今朝までは。
「あらそう」
「で、今朝ゆるめちゃんが、お前のことルカちゃんって呼んでたけど、お前とゆるめちゃんって仲良かったのか?」
「マヒロくんがゆるめちゃんのことを脳内でちゃん付けして呼んでいたのと同じように、下の名前を親しげに呼ぶからって親しいとは限らないのよ」
「うぐ」
なんで女子というのは読心術を備えているのだ。
「どちらかと言えば、そうね、はっきり言って、あの子は嫌いよ」
「はっきり言ったな」
「あの子の言うことは聞かないほうがいいわよ」
「ほんとに嫌いなんだな」
「これは嫉妬とかじゃなくて、あなたのためを思った本気の忠告」
「はあ……? 嫉妬ってなんだ?」
「そこはいいのよ」
「そこが気になるんだけど」
「そこはいいの」
瑠果は「いいわね、私はちゃんと忠告したわよ」と言って、自分の席へ戻った。絶妙のタイミングでゆるめちゃんが戻ってくる。
「お待たせー」
「お、おお。特に待ってはいなかったけど」
「こんちくしょう私に特別な感情を持てよ」
「……お、おお……」
可愛らしい声なので許してしまう。ダメだ俺。
帰宅すると、誰もいなかった。
玄関を開けるたび、両親が帰っているのではないかと淡い期待を抱くのだが、今日は両親どころか麻柚もいない。
兄弟そろって帰宅部のインドア派。しかも麻柚は中学生だ。校則でも、原則として寄り道は許されない、はず。この前はバタフライのスカウトマンにノコノコついていってしまったらしいが、それは例外だ。麻柚は毎日直帰している、はず。俺より麻柚の帰宅が遅いなど、ほとんどないことだった。昨日も、俺より先に帰宅して洗濯してくれた。
とりあえず電話してみようと、俺はスラックスのポケットに手を突っ込み、あ、そうだ今日は携帯を所持していなかったんだと思い出して自室へ急いだ。
机の充電器から携帯を取る。マユの番号を表示させ、通話ボタンを押す。
数回の呼び出し音の後、マユの声がした。
『はーい、マユです』
「あ、お前、今どこに」
『マユは今ちょっとお取り込み中です。ピーって鳴ったら、お名前とご用件を』
留守電かよ。
録音中に噛んだりすると後々までその音声をネタに笑われるので、俺は電話を切ってメールすることにした。
〔今どこ〕
たった三文字で事足りる。送信。
すると、お取り込み中のはずである妹から即座に返信が来た。
〔お兄ちゃん! さっきの電話、リアルタイムで話してたのに途中で切るなんてヒドイ~。お取り込み中なんていうエロい表現、お兄ちゃん以外の人に使えないじゃん、気づいてよ~。マユは今デート中☆ だから邪魔しないでね☆〕
いちいち腹が立つ。
てか、デートだと? 麻柚、彼氏ができたのか。中学生で彼氏なんて、早すぎるぞ。
イライラと寂しさの混ざった、よろしくない気分で、俺は夕食の準備を始めた。
「ただいまあ」
宿題をやろうと思う瞬間には必ず、意欲をそがれることが起きるものだ。
今日は俺の部屋に麻柚が勢いよく飛び込んできた。
「見て見て、ストラップ可愛いでしょ」
「中学生が八時まで帰ってこなくて、第一声がそれかよ」
「第一声は、ただいま、だよ」
「ヘリクツはいい」
俺は腕組みをして椅子を半回転させ、妹の方を向いた。
「遅くなってごめんなさい、だろ」
「それ言うとお兄ちゃん萌えるの?」
「は?」
「お兄ちゃん、ごめんなさい……」
萌えた。
冗談はさておき、麻柚が手にしている携帯のストラップが、大きめのショッキングピンクのウサギだったのが気になって、俺は話を戻してやった。
「それが、なんだって?」
「てへ、可愛いでしょ? プレゼントされちゃった」
「可愛いと言えるのか俺にはわからんが、目立つな」
女子の「可愛い」が俺には理解できないことが多々ある。
「有名なキャラクターなのか?」
「んん、知らない。初めて見た」
「……あ、そう」
ただ単に見せたかっただけらしく、そんなに話は広がらなかった。
「お前、彼氏できたのか」
「え?」麻柚はきょとんとした。「そんなのいないよ?」
何を言い出すんだ、というような顔で見られて、俺も困惑する。
「だってお前、デートって。そのストラップも、誰にもらったんだよ?」
すると麻柚は、「ああ」そのことね、というように頷き、すごく切ない表情になった。
「好きな人ができちゃって……今日は、その人と一緒にいたんだけど、その人には、別の人がいて……。でも、あたし、その人の幸せを応援しようと思うの」
何も言ってやれない。
「禁断の恋って、燃えちゃうよね!」
麻柚は自分の胸に両手を当ててきゅんきゅんハートを飛ばしながら悶えている。
バタフライの次は禁断かよ。
別の人がいる、というのは、想い人や恋人というレベルだと信じたかったが、念のため訊いておく。
「まさかお前、相手は妻子持ちのオッサンとか言うんじゃないだろうな」
「ええ? まさか。そんなんじゃないよ」
やめてよキモチワルイ、と麻柚は虫を払うかのように手を振った。
その勢いで、麻柚が肩にかけていた鞄がずり落ちて、ドサッと床に落下した。
なぜかファスナーが全開になっていたため、中身が散乱する。ピンクのスチール製ペンケース、五百ミリのペットボトル、もこもこポーチ、水玉模様のハンカチ、折りたたみ傘、ピストル、ティッシュ……
ん。
なんだこの違和感。
ペンケース、ペットボトル、ポーチ、ハンカチ、傘、ピス……
「……ピストル!?」
漫画みたいな二度見をしてしまった。
ピンクだの白だのファンシーな持ち物の中、ひとつだけ黒く重々しい、どう見ても拳銃でしかないそれを、麻柚は「ああ、あはは」と笑いながら重そうに拾った。
「大丈夫、本物じゃないから」
「当たり前だ。本物だったら困る。なんだよそれ」
「最近物騒だから、一応護身用にね」
「護身って……モデルガンか?」
「や、一応撃てるけど、弾とか入ってないから大丈夫」
「大丈夫って、お前、ちょっと待て」
「大丈夫だよお。人を殺めたりしないよ、あたし」
「当たり前だ。殺めたら困る。ホントに本物じゃないんだろうな?」
「そう言ってるじゃん、しつこいなあ。弾は出ないって」
「じゃあ何が出るんだ」
「ふふふ、すごい威力なんだよ、これ」
「だから何が出るんだよ」
「あ、お兄ちゃん、ワークブックに虫が這ってるよ」
「え!? どこ?」
5■木曜日のアルバイト〈1〉へ続く