5■木曜日のアルバイト

 
〈5〉
 

「あれま、わしのことを忘れたかい。薄情な孫だね」

「は?」

 ……ば、

 

 ばあちゃんんんん!?

 

「なんで!?」

 ばあちゃんは九州で危篤状態のはずだ。ゆ、幽霊? 死んじまったのか!?

「あんた今、失礼なこと考えたね。わしゃピンピンしとるよ」

 寝巻きを着たばあちゃんは、自分のお腹をぽんと叩いた。

「え、な、何がどうなって」

「説明しとる場合か! とりあえずここから脱出せんと。あんた、ばあちゃんにおぶさりな」

 ばあちゃんは俺に背中を向けた。え、なぜ今おんぶ? それに老人におぶってもらうなんて気が引ける。

「恥ずかしがっとる場合か!! 乗れっ」

 ものすごい怒声。俺は慌ててばあちゃんの首に抱きついた。

「よし、そいじゃ飛ぶぞ!」

 シュッ、と、瑠果が瞬間移動するときのような音がして、一瞬だけ無重力の感覚を味わった。瞬きして目を開けたときには、真っ黒な壁は消え、目の前に麻柚の背中があった。

 本当に瞬く間のことだった。

 ぱひゅーん! と花火が上がるような音がして振り返ると、真っ黒いボックスが燃えていた。

「え、お兄ちゃん! あれ、ばあちゃん!?」

 目玉がこぼれ落ちそうなくらい目を真ん丸にして、麻柚が俺たちを振り返り見ている。そりゃそうだろう。

「あー、レジェンド来ちゃったかー」

 大魔王がヤル気のない声で言った。伝説って、何が。

 とにかく、なぜここにばあちゃんがいるのか知りたい。

「なあ、ばあちゃん、特殊能力持ってたのか?」

「まあね。あんたら孫も能力持ちなんだろ? 隔世遺伝というやつだのう」

「ああ、よかったわ」瑠果が走り寄ってきた。「無事で」

「お前は俺を見捨てただろうが!」

 俺は思わず瑠果を指差してしまった。いかん、人を指差すなよ俺。

「あんたは何もわかっとらんのう!」ばあちゃんがパシンと俺の腕を叩いた。「この娘がわしを呼ばなかったら、今頃あんたはオダブツだったろうに」

 え? なぜ瑠果がばあちゃんと繋がっているんだ。

「この方は、私の師匠。アクガレの最高実力者よ」

 瑠果が、ばあちゃんを俺に紹介してくる。

「過去五回あった宇宙戦争すべてに出向いて、アクガレの能力をアレンジした空間移動で地球の平和を守ったの。アクガレっていうのは、幽体離脱が初級、分身が中級、空間移動が上級なんだけど、師匠は自分だけでなく、移動のときに体に触れている人も一緒に移動させることができるの。すごい方なのよ。ちゃんとお礼して」

「え……え……? ばあちゃん、そんなことしてたの?」

「ちょっと、師匠に『ばあちゃん』はないでしょう」

「いいのいいの、このガキはわしの孫だ」

「師匠、何をおっしゃってるんですか」

「まさか弟子と孫が学友とはのう」

「孫って、ししょ……」

 瑠果は言いかけて口をつぐんだ。しばしの沈黙の後、瑠果の悲鳴がビルに跳ね返り、山びこのようにうわんうわんと響いた。

「驚きすぎだろ」

「こんな役立たずが、敬うべき師匠のお孫さんだったなんて……」

 俺にはもうツッコミを入れる力もなかったので受け流した。

「ねえー、君ら、地球の破滅が懸かってるのにトランプ興味ないみたいだね~」

 大魔王がひどくつまらなそうに呼びかけてきた。瑠果がハッとして、にっこりと笑って応対する。

「ごめんなさい、大魔王。ちゃんと見るわ」

 こんなに表情がころころ変わる奴だったっけ? いや、作り笑いに慣れているというだけか。

 でも作り笑いとはまた別に、瑠果にはなんとなく余裕があるように見えた。麻柚が勝つに決まっていると考えているようだ。俺は魔法でカードをすり替えられるんじゃないかとか、いろいろ不安なのだが、俺よりも宇宙人に詳しいはずの瑠果が自信満々なのだから、大丈夫なんだろう。多分。

 瑠果は麻柚の左隣に立った。「慌てずに落ち着いてね」などとアドバイスしている。一対一のゲームだから、あまり麻柚に近づいたり話したりしてはいけないと思っていたのだが、関係ないのか。それなら、俺も麻柚の右隣へ。

 気にすることないのに、麻柚は少し左へ動いて、俺のスペースを取ってくれた。

 麻柚は四枚、大魔王は五枚のカードを持っていた。もしかするとまだゲームを始めていないのかもしれない。二人でババ抜きなんて、最初に手持ちのペアを捨てた段階でカードはかなり減ってしまう。

 大魔王が美しい顔で、扇状に持っている自分のカードと麻柚の手にあるカードを見比べた。

「じゃー、魔王くんからひいてもいい?」

 魔王くんて。自分のこと魔王くんて言ったよ。

「どうぞ」

 麻柚は余裕綽々だ。

 やはりこれからゲーム開始らしい。

 二人でババ抜きをすると、二人が持っているカードは全く同じ数字の組み合わせになる。大魔王のカードが一枚多いということは、ジョーカーを持っているのは確実に彼だ。麻柚がジョーカーをひかない限り、二人とも一枚ずつカードが減っていくだけ。どちらが先にひいたって、麻柚なら勝てる。

 大魔王は一歩前に出て、特に悩む様子もなく、ひょいと麻柚のカードから一枚ひいた。ペアを地面に捨てる。

「はい、君の番」

 大魔王は楽しそうにニコニコして、カードを持った腕を麻柚のほうへ伸ばす。

 麻柚も、特に迷ったりせず、ひょいとカードをひいた。ペアを捨てる。

 もう今の時点で、麻柚のカードは二枚、大魔王は三枚だ。すぐに決着がつく。

 瑠果は、そっとその場を離れた。ゆるめちゃんのほうへ歩いていく。

「魔王くんの番」

 大魔王が麻柚のカードをひき、ペアを捨てた。

 麻柚のカードは残り一枚。それがハートのエースであるのが見える。大魔王のカードは残り二枚。エースとジョーカーなのは間違いない。そして、どちらがジョーカーなのか、麻柚はわかっているはずだ。

「君、ミスカシだよねえ?」大魔王が楽しそうに言った。「ここからは時間制限を設けよう」

 大魔王は両手に一枚ずつのカードを持った。そして、開いていた本を閉じるように、二枚のカードのオモテ面をくっつけて、ぴたりと重ねた。

 重ねたカードを真上にふわりと放り投げ、後方へ移動して麻柚から五メートルほど離れた。カードはなぜかぴたりとくっついたまま、宙に浮き、その場で高速回転する。

 ようやく魔力を発揮か。目の前で魔法を見ても、なんとも思わなくなっている俺がいる。もう何を見ても驚かないかもしれない。

「あっ」

 麻柚が小さく声を上げた。

 俺は妹の動揺を感じ取った。なぜうろたえるんだ? 

「マユ?」

「……わかんなくなっちゃった」

 今までの自信に満ちた表情はどこへやら、眉根を寄せている。

 ふわり、と大魔王の手にカードが戻った。オモテを内側にして重なったままのカードは、両面ともウラの模様が印刷された一枚のカードのようにしか見えない。

 大魔王は左腕を前に出すと、手のひらを上にした。再び軽く放り投げられたカードがくるくると浮遊し、地面と水平になり、手のひらの10センチほど上で止まる。

「二分あげる。欲しいカード、上か下かで答えてみてよ」

 大魔王は意地悪な笑みを浮かべた。

 麻柚は黙っている。これまで問題なくやってきたのに、緊張が伝わってくる。

「どうしたんだよ、マユ」

 俺は妹に歩み寄る。

 魔王の手にあるカードを見つめたまま、麻柚は動かない。

「もしかして、カードがすり替えられたか? どっちもジョーカーになってるとか。インチキは失格だ」

「それはないと思う。もしそうなら、もっと強く光るはず」

 なるほど、一応、正々堂々とやってるんだな。つーか、ジョーカーがどれだかわかる能力を使ってババ抜きしてるんだから、インチキしてるのはこっちかもしれない。

「大丈夫ー? 地球の未来が懸かってるんだから、頑張ってねー」

 大魔王がにたにたと笑いながら言う。プレッシャーをかけているつもりか。

 麻柚が泣きそうな顔をしている。今の大魔王の言葉が効いたらしい。助けを求めるように瑠果のほうを振り向いたが、彼女は少し離れたところで真剣な顔でゆるめちゃんと何か話していた。

「お兄ちゃん、どうしよう」

 普段、俺に頼ることなどない妹が、そう言った。

「マユ、何を悩んでるんだ? いつも通り、落ち着いてみろ」

 リラックスさせてやろうと思って、そう言いながら麻柚の肩に手を置いた。しかし、麻柚はなんとなく苛立ったようにその手を払いのけた。

「ダメなの!」麻柚はかぶりを振った。「お兄ちゃん……あんなにぴったり重なってたら、どっちが光ってるのかわかんないよ!」

 え?

「どうしよう、お兄ちゃん! わかんないよお!」

 えええ!?

 魔王は楽しそうに笑っている。

 そうか。麻柚の見る光は物質を透過する。扉や、引き出しや、ベッドの裏、隠れたところにあるものを見つけることができる。光は何にも遮られないのだ。つまり、あのトランプのように、同じ大きさで、位置もほぼ同じものは、どちらの発する光なのか見分けがつかない。そういうことか。

 大魔王もそれを知っているんだな。こういうゲームがしたくて、カードの枚数を見て、先手を選んだのだ。まあ、後手を選んでいたら大魔王は麻柚の最後の一枚をひくことになり、確実に負けていただろうけど。

 俺は、離れて立つ大魔王の手元を見つめた。俺は目がいいらしいから、何かの拍子に一瞬でもカードのオモテが見えないかと思った。オモテを見ようとしている時点で、既にインチキというかもうババ抜きというゲームではなくなっている気がしたが、負けたら世界が終わるのだからどうこう言っている場合ではない。

 しかし、本当に地球が滅亡するなんてこと、あるんだろうか。

 それがババ抜きの勝負で決まるなんて、まだ半信半疑だ。馬鹿げている。しかし空中の黒い穴から現れた大魔王がいる。魔法のように突然現れた黒い電話ボックスに閉じ込められた。危篤のはずのばあちゃんに背負われ、空間移動を体験した。馬鹿げたことだらけだが、全部現実に起きているのだ。だから地球の安否も、冗談ではなく本当に、このトランプに懸かっているのだろう。だとすれば、勝たなくてはならないのだ。

「一分経過ぁ」

 大魔王の、ヤル気のない声。

「とりあえずどっちか選びなよ。ババをひいても、そこで負けが決まるわけじゃないんだしさあ。また魔王くんがババをひくかもしれないよー」

 それはそうだ。でも「かもしれない」では危険だ。自力でできることをしておかないと。

 麻柚がごそごそと、自分の鞄の中に手を突っ込んでいる。肌身離さず持ってるなあ、鞄。

 いかん、集中、しゅうちゅ……

「お前っ、な、何してるんだよ!」

 麻柚が銃口をくわえていた。

 まだ諦めるところじゃないのに、自殺するつもりか!? いや、ピストルに透明なチューブが繋がっている。そうだ、これは水鉄砲のはずだ。窒息死したいのか? そうでなければ、なんなんだ。

 ちゅうう。

 ごっくん、と麻柚は液体を飲んだ。

 ピストルから出るのは、「カプサイシンパワーなめんなよ」のトウガラシ溶液のはずだが。

「辛いもの摂取しないと、光の見え方が弱まるのよね」

 なんじゃそりゃ。

「……驚かせるなよ……」

「ごめんごめん」

 ごめんで済むかよ。

 いかん。集中できてない。俺は一旦目を閉じて、深呼吸してからカッと目を見開いた。大魔王の左手の上で浮かぶカードを凝視する。カードはぴったりくっついたままだ。ちょっとでもズレれば、麻柚にもわかるかもしれないのだが。

「三十秒前だよー。早くしてくんないかなー」

 頼む。見定める力をくれ。麻柚にでも、俺にでもいい。

 誰にともなく、俺は祈っていた。

「二十秒前」

 きいいいいいん、と耳鳴りがした。なんだよ、こんなときに。

「どうしよう、お兄ちゃん」

 返事もできない。耳鳴りの不快感と、カードを見破らなければという執念でいっぱいだった。いっぱいいっぱいだった。

「十秒前ー。九、八……」

 そのときだった。

 ゴゴゴ、という変な音が頭の中で響き、視界がズームして、大魔王のカードを間近で見ている感覚になった。

「七、六……」

 大魔王が楽しそうにカウントダウンしている。

「マユ」

 俺は静かに妹の名を呼んだ。

「え?」

「上だ」

「……上?」

「下がジョーカーだ。上をひけ!」

 妹は目を丸くした。

「三、二……」

 説明を受けているヒマはないと思ったのだろう、麻柚は魔王に向かって「上!!」と叫んだ。

 しばしの静寂。

 麻柚の呼吸が震えている。

 魔王はきょとーんとした顔で麻柚を見ていた。そして自分の左手の上に浮かぶカードを、右手で軽く掴む。上側にあるカードだけが持ち上げられた。

 下のカードのオモテが見える。

 いやらしい微笑みを浮かべる、悪魔のイラスト。

 俺が透視したのと同じイラストだった。

「やった……」

 麻柚が呟いた。俺の顔を見る。

 大魔王は不機嫌そうに唇をとがらせて、右手のハートのエースを捨てるようにこちらへ投げた。

 ……勝った。

「やったよお兄ちゃん! すごい!」

 ゆるめちゃんも「うはぁっ」と飛び跳ねて喜んでいる。

 さっき、視界がズームして、カードの内側の面が透けて見えた。最初はわからなかったが、ハートのエースの「A」の文字が、右上と左下についていることに気づいた。通常とは逆だ。ということは、鏡に映ったように反転している。つまり裏返し。だから上にあるのがハートのエース、下がジョーカーだとわかった。

 なんで見えたのかはわからない。危機的状況で、追い詰められて、異常な力が発揮できたのかもしれない。

「ふははははは!」

 かっこいい笑い声がした。大魔王だった。

「魔王くんとしたことが、能力持ちのスキルを目覚めさせちゃったみたいだね」

 ふわりと歩み寄ってきた大魔王は、麻柚に握手を求めた。

「負けたよ。地球滅亡は次の機会に持ち越しだ」

「もうそんな挑戦しないでほしいですけどね」

 麻柚が応じて手を出した、その瞬間。

 

5■木曜日のアルバイト〈6〉へ続く