6■金曜日のペイメント

 

 参ったなあ、と俺は受話器を持っていない方の手で頭を掻いた。

 麻柚は庭で、短いスカートをひらめかせながら子犬のチョンと遊んでいる。

『マヒロ、聞いてる? そういうわけで、もうしばらくおばあちゃんの家に泊まることになったから。家のこと、よろしくね。マヒロ、聞いてる?』

「聞いてるよ」

『ほんとに聞いてる? 予想外だったからお金とか準備しなかったけど、大丈夫?』

「だから、それは困」

『もしものときはバイトか何かで食いつないでちょうだい』

「ちょ、母さん」

『もしもし? 聞いてる?』

「あんたが聞けよ」

『そういえば、おばあちゃん、あんたのことおんぶした夢を見たって、嬉しそうだったわよ』

「ああ、そう」

『あんたがちっちゃい頃、おばあちゃんがよくおんぶしてくれたの覚えてる? あんたが嫌がっても、おばあちゃんがなかなかやめなくてねえ。あんたのこと大好きだったのよ』

「……そうか」

『じゃあ、また電話するわね』

「あっ、待って、お金」

 プツ。

「おい!」

 ツー。ツー。

「……」

 溜め息と共に受話器を置く。

「どしたの? お兄ちゃん」

「うわ」

 ついさっきまで庭にいたはずの麻柚が俺の顔を下から覗いていた。

「びっくりさせんな。ばあちゃんが階段から落ちて骨折したんだとよ」

「ええっ」

「しばらくは安静にしてなきゃならないって」

「ありゃー」

「そういうわけで、母さんたち、もうしばらく帰ってこないってよ。はああ、やっぱりバイト探さなきゃなあ」

「あ、お兄ちゃん、そのことなんだけど……」

 麻柚がもじもじしながら、俺を上目使いに見る。

「なんだよ」

「やっぱり、夜の蝶……」

「却下!」

「お兄ちゃん、ちゃんと話を聞いてよ」

 プルルルルル。

「あ、ほら、電話だ」

 俺は妹の話に全く聞く耳を持たず、受話器を取った。

「はい、もしもし。……え?」

『マジプロモーションと申します。本日は、隕石の影響で付近の学校がお休みとのことでしたので、ご自宅にいらっしゃるかと思いまして。マユさんのお父様でいらっしゃいますか?』

「いえ、両親は今いないので……」

『ああ、そうなんですかあ。お兄様ですね? 実はですね、マユさんがうちの映画の主役のイメージににぴっっったりでして、先日名刺をお渡ししたんですけども、マユ様からお話は聞いてらっしゃいますか?』

「映画……ですか?」

「はい、けっこういろんな場所にポスターを貼ってまして、ご覧になったかもしれませんけども、うちのほうで今『バタフライ~丑三つ時のスナイパー~』という映画の撮影準備をしてまして、出演者を募集してまして。公式にはオーディションという形をとってるんですけども、運命的にマユさんに出会いまして、主役はこの子だ! と思いまして」

 なんだそのふざけた映画は。

 でもマジプロモーションというのは、かなり有名な芸能事務所だ。アラキショウコも所属している。

 でも、話が上手すぎるし、マユからそんな話は……

 え。

 いや、まさか。

「マユ!! お前、バタフライって、映画の話だったのか?」

「そうだよ。あたし、言ったじゃん」

「映画とは聞いてないぞ!」

「スカウトされたって言ったじゃーん」

「映画とは聞いてない!」

「じゃあ、なんの話だと思ってたの?」

「……いや、あの、うん」

 映画って……。

「マジかよ」

『はい、マジプロモーションです』

 わおーん、わんわん、とチョンが吠えた。

 麻柚が、女優に?

「そんなの……お兄ちゃんは、反対だ」

「えー!? なんで!?」

「俺の妹が、みんなの妹になってしまう」

「お兄ちゃん、何言ってんの?」

『あの、もしもし? もしもし?』

 ピンポーン。

 チャイムが鳴った。

「あ、ちょっと、お客さんが来たみたいなので、切ります」

『え! あの、あのですね、妹さんやご家族様と、一度契約についてのご説明を』

「失礼します」

『もしもし! も』

 ガチャンと受話器を置くと、俺は玄関に向かった。

「お兄ちゃん、今の電話なんだったの? ねえ」

「ナイスタイミングなお客さんだよ、感謝だ」

 たとえ新聞の勧誘であろうと、笑顔で応対してやろうとドアを開ける。

 目に入ったのは、ミニスカ、生脚。

 俺の笑顔は引きつった。

「あれえ、ルカさん!」俺の後ろから覗いた麻柚が驚きと喜びの声を上げる。

「なんだ、お前か……」

「なんだとは何よ」瑠果は途端に不機嫌な顔をした。

「ああ、悪い悪い。お前、隕石のせいで外出禁止令ってときに、どうしたんだ?」

「まだ禁止令じゃないわ。警戒令よ」瑠果は、馬鹿を見下すような目で俺を見た。「しかも私たち、あれは大魔王の仕業だって知ってるじゃない。もう降ってこないわよ。それに外出してもしなくても、隕石が飛んできたら当たるときは当たるのよ。どうしようもないわ。警戒令の意味がわからない」

「それは、そうだけど……」

「これ渡しに来たの」手に持っていた茶封筒を俺に差し出す。「今回の報酬」

「え?」

 2センチくらいの厚みがあるそれを押しつけられ、仕方なく受け取る。

 報酬って、これ、お金? お金なのか? この厚み、高校生が授受するには大金すぎるんじゃないのか。

 封筒の中を見てみると……、見知った顔があった。諭吉さんだ。

 思わず息を呑む。

「冗談かと思ったでしょう。それ、本物のお金よ。偽札じゃないわよ」

「いや、別に疑ってないけど……」

 いくらあるんだ? こんな札束を手にするのは初めてだ。

 麻柚も口に手をやり、呆気にとられている。

 こんな大金受け取れないよ、と返したほうがいいんだろうか。どうしたらいいのかわからずおろおろしてしまう。

「一応、死ぬかもしれないような戦いに参加してくれたんだから、受け取って」困っている俺の気持ちを察したのか、瑠果は言った。「協会から出てるお金なの。ちゃんと渡さないと私が怒られるのよ」

「……そうなのか」

「ええ」

 頷く瑠果を見て、妹の顔を見て、もう一度瑠果を見て、俺は浅く頭を下げた。

「……ありがとう」

 

 それだけだから、と瑠果は踵を返し、携帯を操作しながら去っていった。

 俺は手の中の封筒をしばし眺めていた。どうしたらいいんだ、これ。

 ぴろーん♪ と音がして、麻柚が「ん」とポケットから携帯を出した。メールが来たようだ。

 麻柚はちらりと俺を見たが、黙って二階へ上がっていった。

 自分も札束を触りたい、見せて見せて、と来るかと思っていたのだが。お兄ちゃんは寂しいぞ。

 

7■無意識化のアフェクションへ続く