5■木曜日のアルバイト
「ときにマヒロくん、バイトを探してるって言ってなかった?」
昼休み。俺はまたゆるめちゃんと昼飯を食っていた。
「あれ、なんで知ってるんだ?」
「まあ、付き合うくらいだから、相手のことは大体把握しておかないと」
「は、はあ」
俺はゆるめちゃんのことを何も把握していないのだが。
いや、こっちは命令されて付き合うのだから当たり前だ。把握していろというほうがおかしい。というかまだ付き合うことを了承していないのだが。
「実は、いいバイト知ってるんだよね」
ゆるめちゃんはにこにこしながら、音楽にでもノッているように頭を左右に揺らした。
「なあ、言っておくが、俺は『普通じゃないものを探して観察する仕事』は拒否するぞ」
「ひあええ!」ゆるめちゃんが突然素っ頓狂な声を発する。「ルカちゃん、そんなことまで話したの?」
「お前も知ってるのか、その怪しいバイトのこと」
「知ってるっていうかまあ、その、えへへ」
ゆるめちゃんは、いかにも「実は私もそのバイトしてるの」とか言い出しそうな変な笑い方をした。俺の目を見て、ほら、口を開ける。
「マヒロくん、実は私もそのバイトしてるの」
ほら来たああああああ!!
「何度も言うが、俺はそんな怪しいバイトは」
「あ、大丈夫だから。マヒロくんは別に、怪しいもの探す必要ないから」
「は? なんで?」
思わず訊いてから、探したかったかのような返し方をしてしまったことに気づく。
「いや、探す必要ないのはとってもよかった、そりゃもう喜ばしい限りなんだが」
誤解のないよう慌てて付け加える俺を無視して、ゆるめちゃんは言葉をかぶせた。
「マヒロくんには微妙に違うバイトを紹介しようと思ってるんだよ」
「あ、そう。それなら助かる……え、『微妙に』? ……まあいいや、どんな仕事?」
「そういうのはさ、お楽しみにしておこうよ」
「え、そこが一番重要な部分だと思うんだが」
「まあまあ。今日の放課後、一緒に見学行こ?」
「今日? 見学?」
「私の知り合いだから心配ないよ。仕事の内容教えてもらって、嫌だったら嫌って言ってくれればいいし。気ぃ遣うことないから」
「ほんとか?」
「うん」
なんだかわからんが、とりあえず見るだけでいいならと、俺はゆるめちゃんに言われるままそこへ行くことにした。
放課後、俺はゆるめちゃんと一緒に、電車に揺られていた。
「俺ん家の近くなのか、そのバイト先」
切符を買ったのはゆるめちゃんだけ。降りるのは、俺がいつも利用している駅だという。俺には定期券があった。
「うーん、最寄り駅は同じだけど、マヒロくんの家は北口方面でしょ? 仕事場は南口のほうなの」
「へえ」
「えへ。楽しみだね」
「何が」
「えへへ」
まだ、なんの仕事なのか教えてくれる気はないらしい。
そのうちいつもの駅に到着し、俺たちはホームに降り立った。人の流れに任せて歩く。
ふと、視界の隅に奇妙な組み合わせを見たような気がして、俺は一瞬歩みを止めた。
息を吸い、再び勢いよく歩き始める。ゆるめちゃんを追うのではなく、その違和感の方角へ。
「あ、あれ、ちょ、マヒロくん?」
ゆるめちゃんの高い声はよく通る。俺の名前が聞こえたからだろう、違和感のある組み合わせ――麻柚と瑠果が、こちらを向いた。
「お兄ちゃん!」
麻柚は驚いた顔で俺を指差す。人を指差すなよ。
俺は妹と瑠果の間に割って入り、妹を隠すように立った。
「なんでこいつと一緒なんだ」
瑠果の探している『普通じゃないもの』が麻柚のことだとしたら。
麻柚が危険だ。
「マヒロくん、勝手に行かないでよう」
可愛らしい声で呼びながら、ゆるめちゃんが小走りしてきた。
「あれえ、ルカちゃん。なんでここにいるのー?」
判っていたくせに、さも今気づいたかのように驚きの声を上げる。
俺の家の近くに越してきたという話を昨日したばかりなのに、何も知らないふりをしている。いや、もしくは記憶力が、いやいや、おつむ全体が弱いのか、この子は。
「あら、ゆるめちゃんじゃない」
瑠果はニヤリと、それはもう不敵すぎる笑みを浮かべた。
「何? なになに、どゆこと? みなさん、お知り合い?」
麻柚は状況が飲み込めないようだ。俺も飲み込めていないが。
「え、この子、ナニヤツ?」
ゆるめちゃんが妹を指差した。俺の妹を指差すなよ。
すると瑠果が鼻で笑った。
「そんなことも知らないの? やっぱりゆるめちゃんはダメね。使えないわ」
「なっ! なんですと! おぬし、なめたらあか」
「俺の妹だよ」
なんだかゆるめちゃんのキャラがだんだん明らかになってくるのが恐ろしくて、俺は大きめの声で話を遮った。
「いっ、いもうと!」
ゆるめちゃんが可愛らしい目をぎょろっと見開いた。
「これがマヒロくんのいもうと!!」
「すみませんけど、どなたですか」
麻柚が尋ねる。ゆるめちゃんが壊れているせいで、妹がすごく落ち着いて見えた。
ゆるめちゃんは、よくぞ訊いてくれたと言わんばかりに嬉々とした表情をした。
「私? 私はね、マヒロくんの恋人です☆」
……あ。
大人びた妹に見とれている場合ではなかった。
「はい!?」
麻柚は、数秒前のゆるめちゃんさながらにぎょろっと目を見開いて、俺の顔を見た。
「この人、大丈夫? 頭」
「あー、それが、実は……」
なんと説明すればいいのやら。
俺がはっきり拒否しなかったのが悪いのだ。いや、あのときはまんざらでもなかった。ゆるめちゃんがちょっと狂った奴だとは知らなくて、ほんのり嬉しい気持ちもあった。認めよう。これまでの人生、告白されたことなど一度もなかったのだ。なびいてしまっても仕方あるまい。
「お、お兄ちゃん」麻柚が俺から離れる。「どうして……」
「聞いてくれ。俺も、こんなはずじゃ」
「ルカさんという人がありながら……」
がっくし。
「そっちか……」
「そっちか、じゃないでしょ? 浮気するにもセンスがちょっと」
「だーかーらー、ルカとはそういう関係じゃねえって何度言えばわかるんだ! お前からも言ってく……れ……って、あれ?」
瑠果は、小指を立てた手で口元を隠して涙ぐみ、「信じられない」と言いたげな目で俺を見ていた。昭和の少女漫画かとツッコミたくなる大げさなポーズだった。
「いや、待ってくれよ。じゃあどんな関係だったんだよ俺ら」
「冗談よ」
瑠果は真顔に戻った。
というか冗談なんぞ言い合っている場合ではない。
俺は妹を守らなくてはいけないのだ。そうだ。そうだよ。何をやっているんだ俺は。
「マユ。お前、どうしてルカと一緒にいるんだ。っていうか、お前ら、知り合いなのか」
話を最初に戻した。
「あー、あのね……」
麻柚はちらっと瑠果を見やる。瑠果は頷いて、話すよう促した。
「お兄ちゃん、昨日、携帯忘れてったでしょ? お兄ちゃんが家を出た後に鳴り出して、見たらルカさんの名前が表示されてたから思わず出ちゃったの」
「出るなよ」
なるほど、それで瑠果は、俺が携帯を忘れたと知っていたんだな。
「あたしは、てっきりルカさんがお兄ちゃんの彼女なんだと思って、勝手に親しみを感じて喋ってたらすっかり意気投合しちゃって、放課後会いましょうってことになって。会ったら想像以上に美人でいい人でびっくりしちゃった。だけどね、今日は偶然、たまたま会ったんだよ。同じ車両だったの。運命的でしょ」
麻柚の目が心なしかキラキラしていた。
「随分と短時間で親密になったんだな」
昼間、瑠果に言われた言葉をそのままそっくり瑠果に返してやった。
「私もびっくりよ」
「嘘つけ」
絶対狙っていたに決まっている。
そういや、どうして麻柚が電車に乗るのだ、と考え、そういえばソフトボール部の助っ人とかいう話をしていたな、と思い出す。あれ? 俺、弁当作ってやらなかった。だ、大丈夫だったのか?
「あー、お小遣いでパン買ったよ」
麻柚は、ふん、と鼻を鳴らして不機嫌そうな表情になった。
「悪い、悪かったよ」
「この役立たず……」
「え?」
「んん、なんでもない。過ぎたことはいいよ、お兄ちゃん。そんなことより」麻柚は、さげすむというよりもはや哀れむような目でゆるめちゃんを見た。「ルカさんすごくいい人だよ? どうしてこんな……こんな人と……」
「うん、いろいろ弁解したいところだが、今重要なのはそこじゃないんだよマユ」
「重要だよ!」
「いや、お前は何も知らないんだ。たった今、お前の人生が危険にさらされてるんだよ」
「へ? 何それ」
「お前はルカに近づくな。ルカは――」
ちらっと瑠果を見た俺の視界に、ゆるめちゃんも入ってきた。
「ルカは……」
や、待て。
ふと、昼間聞いた台詞が、俺の脳内で再生される。
<知ってるっていうかまあ、その、えへへ>
<マヒロくん、実は私もそのバイトしてるの>
「…………」
ゆるめちゃんも敵かああああ!!
うっかりしていた。彼女のおかしなキャラクターにごまかされて、全く危機を感じていなかった。なんだこの状況。危険極まりないじゃないか。
「お兄ちゃん?」
無言で頭を抱え込んで動かなくなった俺を妹が突っつく。
「あ、ああ、あああ」
混乱。
でも、さっきのゆるめちゃんの反応からすると、麻柚の存在すら知らなかったんじゃないか?
<やっぱりゆるめちゃんはダメね。使えないわ>
瑠果の言葉もある。ゆるめちゃんはバイトの成果を上げていないのかもしれない。
ゆるめちゃんはとりあえず、そこまで気に病む必要はないだろう。妹と直接コンタクトを取った瑠果のほうが危ない。
ただ、麻柚にわかりやすく伝えるために、ゆるめちゃんの名前も出しておこう。
「マユ、よく聞け。ルカとゆるめちゃんは、同じだ」
「へ? 何それ」
「ゆるめちゃんに近づきたくないと思ったなら、ルカにも近づくな」
「へ? へ?」
麻柚は俺と瑠果の顔を見比べる。
「ルカさんはマトモに見えるんだけど……」
「ところがどっこい異常者だ」
「異常者だなんて、お兄ちゃん、失礼だよ」
「お前は何も知らないだけなんだ。頼むから俺の言うことを信じてくれ」
麻柚の両肩を強めに掴む。珍しく俺がマジな顔をしていることに気づいたのか、麻柚は困った顔で黙った。
「異、常、者……」
誰かが呟いた。
瑠果だ。
「本人のいる前で異常者呼ばわりとは、随分度胸があるのね……」
「あ、あ、ごめん、でも事実……、あ、ごめん」
「まあ、否定はしないわ」
髪を耳にかけながら、瑠果は言った。
「マヒロくん自身は、異常者呼ばわりされたら全力で否定するんでしょうけどね」
「当たり前だ」全力で肯定した。「俺はごく普通の平凡な男子高校生だ」
「お取り込み中ーすまないけれどもよー」
間の抜けた声がした。ゆるめちゃんだった。
「私はマヒロくんとの用事があるのだす。ね、マヒロくん」
「え、……ああ、でも」
「昼間から約束してたんだすっ」
ゆるめちゃんは俺の腕に抱きついた。
「ちょっ、お前、やめろよ」女の子に腕を捕まえられている姿を妹に見られるのは屈辱的だ。「っていうか痛いよ!」
じわじわと腕が締め付けられていく。ゆるめちゃんの腕力はかなり強かった。腕が抜けそうだ。
「離せよっ」
「マヒロくんとの約束は守らせてもらわにゃならんのだす!」
ゆるめちゃんは俺を完全無視して、妹と瑠果の方を見て怒鳴った。
「おまんら、私のマヒロくんの時間をこれでもかと奪いやがって! マヒロくんは将来のために働かなくてはならんのだす!」
将来というか、当面の生活費なのだが。というかその口調はなんなんだ。
「ウサギにもツノにも、マヒロくんはこれから行くところがあるのだす! 邪魔しないでおくんなまし!」
「それは『とにもかくにも』と読むんだが、ゆるめちゃん、落ち着いて標準語で喋ってくれ。一緒にいるのが恥ずかしくなるから」
「既に恥ずかしいわ」
瑠果が冷たく言い放つ。
「そんな人と、どこへ行くの? お兄ちゃん」
妹が、不安げにというか気味悪そうにというか、微妙な表情で尋ねてくる。
「バイトを紹介してくれるって言うんだけど……モチベーション下がってきたなあ……」
ゆるめちゃんをちらりと見ながら俺は答えた。ゆるめちゃんはにんまりと笑って、俺の腕をさらに強く抱きしめた。痛い。
「大丈夫、マヒロくんにしかできない仕事があるんでし。これは生きがいや自尊心に繋がる、マヒロくんの運命を変えるできごとになるかもしれないんでし」
「まさか、ゆるめちゃん」
瑠果が、信じがたいという表情でゆるめちゃんの服を掴んだ。
「あなた、マヒロくんで勝負を?」
「「勝負?」」
俺と麻柚がハモる。
「そうでし。マヒロくんの力は素晴らしいのでし」
「それは間違ってるわ。マヒロくんは使えないわよ」
「ちょっと、ちょっと待ってくれ。なんの話だ」
「とーにーかーく!」何もかも完全無視し、ゆるめちゃんは高く大きな声で宣言した。「私はマヒロくんを連れていくのだすよ! 邪魔しないでおくんなまし!」
そして、この小さな体のどこから出てくるのか、可愛らしさからは想像もつかない力で俺の腕を引っ張った。
「うわ、痛い痛い痛い痛い痛い!」
「さらばじゃアディオス!」
「お、お兄ちゃん!」
「待ちなさい、ゆるめちゃん!」
結局、四人で改札へ向かっていく。傍目にはコントにしか見えないだろう。恥ずかしいことこの上ない。