5■木曜日のアルバイト

 
〈4〉
 

 必死で逃げたのはなんだったのか。結局俺たちはさっきの地下室へ戻った。

「おう、おかえり、ゆるぴー」

 ダンディーな声で、男が出迎える。ゆるめちゃんだけを歓迎しているような気がするが、どういう関係なんだ。

「ううー……」

 泣きべそをかきながら、ゆるめちゃんは男に両手を伸ばした。

「まだ手を下ろしていいなんて言ってないわよっ」

 バン! と発砲音が響く。ゆるめちゃんは背中を撃たれてつんのめってコケて床に額をぶつけた。

「っ、っ、ぐううう」

 ゆるめちゃんの嗚咽。

 なんなんだ。なんなんだよ。なんで撃ってんだよ。なんで死なないんだよ。あれ、もしかしてゴム弾なのかな。そうか。いや、コンクリの壁にめり込んでただろ。危険だろ。

「弾は高価なんだから、無駄使いしないでくれ、ルカ。あんまりゆるぴーをいじめるな」

 男がゆるめちゃんの脇の下に手を突っ込み、タカイタカイをするように体を持ち上げて立たせる。

「嫌がらせを受けてるのはこっちよ」

「まあ、まだゆるぴーは小さいんだから、大目に見てやれ」

「ちょっとキョーノさん、ゆるめちゃんは私と同い年よ」

「ばか、お前、何言って……」

 男は、キョーノさんというらしい。そのキョーノさんは、ニヒルな微笑みのまま三秒ほど固まった後、ぎょっとしてゆるめちゃんを見た。

「え!!」

「いつも同じ制服着てるのに、気づかなかったの?」呆れ顔で瑠果が溜め息をつく。「そんな観察力じゃ、地球滅亡しちゃうわよ」

 キョーノさんは驚愕の表情をすぐにダンディーに整え、瑠果を指差した。人を指差すなっつーの。

「そういや、ルカ、お前アクガレが進化したようだな」

「……ああ、そうね。できるようになったわ」

 なんのこっちゃ。

「あの」

 麻柚が口を開く。人が話をしていてもお構いなしに割って入るんだな、麻柚は。

「帰りたいんですけど」

 瑠果は再び呆れ顔になる。

「この期に及んで、まだ帰りたがるの? そんなに楽しい家なの?」

「ここにいたくないだけです」

 あ、そう。お兄ちゃんとミズイラズになりたいわけじゃないんだね。

 麻柚はピストルを構えた。「とりあえず、帰らせてくれないなら納得できるように説明してくださいよ。疲れてるんで、簡潔に」

「ほんとに疲れてるみたいね」瑠果はいやらしく微笑む。「そんな小さいピストルに、まだ液体が残ってると思う? さっきゆるめちゃんに相当飲ませたでしょ。ハッタリは見苦しいからやめなさい」

「あ、いっけね☆ てへ」

 麻柚は自分の頭を小突き、ずっと肩にかけている鞄の中をごそごそかき回した。

 ぷち、とピストルに挿す。鞄の中の何かに繋がった、透明なチューブを。

「これで大丈夫!」

 ほんとかよ。そんなに多量の液体を持ち運んでるのかよ。だから重かったのか。

「さあルカさん、本当のことを話して」

「さっきから話してるんだけど」

「わざとわからないように話してるの? 説明が下手なの? ちゃんと説明してください、ルカさん」

 瑠果の機嫌が若干悪くなった。こいつは悪口を言われるのが本当に嫌いらしい。

「マユちゃん……私、知ってるのよ……」もったいぶった言い方をして、麻柚を睨む。「マユちゃんの好きな人」

「……?」

 麻柚はきょとんとした。が、意味を理解したのか、ゆっくり目を見開き、顔が徐々に赤らんでいった。目を泳がせ、何か言おうと口をぱくぱくするが、言葉が出てこない。

「そんな暴言を吐く姿、見せていいの? 嫌われたいの?」

 一歩、また一歩と、瑠果はゆっくり麻柚に近づいていく。

「自分で自分を抑えようとしてるのね」

 麻柚はピストルを下ろした。泣きそうな顔をしている。

 麻柚の好きな人? そんな姿を見せていいのか、なんて言うってことは、この場にいるってことか。

<禁断の恋って、燃えちゃうよね!>

 ま、……まさか、

 俺!?

「でもそんなの無駄。なるようにしかならないのよ」

「やめてください……」

「自分に嘘をつくのはよくないわ。うまくいこうが拒絶されようが、正直に生きなさい。そして今は自分のために人を苛立たせるときじゃないわ。まだ信じてくれてないようだけど、恋がうまくいくかどうかじゃなくて、生きるか死ぬかの事件が起きてるの。あなたの力が必要なのよ」

 瑠果は麻柚の頬に触れた。

「お願い。大魔王を倒せるのは今、あなただけなの」

 大魔王て! ギャグのつもりなのか? 笑うところなのか? つーかそういえば、前にも言っていたな……。

「ルカさん……」

 麻柚も乗せられているし! 何うっとりした顔で瑠果と目を合わせているんだ。これは止めないと。

「ちょっと、待っ」

「黙ってて」

 瑠果が瞬時に銃口を俺に向けた。麻柚を見つめたまま。ああ、もう。

「マユちゃん、お願い。マユちゃんになら簡単にできることよ」

 麻柚、目を覚ませ。

「やります」

 麻柚がハッキリと答えた。よし、よく言った。……え? やります?

「マユ、何言ってんだ。帰りたいんだろ?」

「あたし、何をすればいいんですか?」

 麻柚が俺を無視した。いかん、洗脳されている。

 瑠果は、いつの間にかカウンターに座っていた男を振り返って見た。

「キョーノさん、今バトルはどの辺まで進んでるの?」

 バトルて。

「ああ、今確認し……、あれ」

 下を向く男の顔が、微かに青い光で照らされている。どうやら、カウンターのテーブルに画面がはめ込まれているらしい。

「悪い、終わった」

 キョーノさんはなんでもないことのように言った。

「終わった? バトルが?」

 瑠果が怪訝な顔をする。

「ああ」キョーノさんが頷く。「こりゃもう、終わりだ」

 そっちか\(^o^)/!!

 キョーノさんは、外見はカッコイイんだが、どうも説明するのがド下手らしい。相手が理解しやすいように、とか考えたことないんだろうな。

「終わりって、じゃあ能力持ちは全滅なの?」

「生きてる奴もいるようだが、死んだ奴もいる」

「地球滅亡なの?」

「ああ」

 ああって、おい。そんな暢気に。

「そのミスカシがラスボスに負けたらな」

 キョーノさんが麻柚を指差した。だから、俺の妹を指差すなっつーの。そしてなんだそのミスカシってのは。

 あ、もしや、見透かすってことか? 麻柚の「光って見える」という能力は、完全にバレているんだな。当たり前か、こんなに麻柚を貸してくれと言ってくるんだから。

「マユちゃんが大魔王に勝てばいいのね?」

 だから大魔王て。

「最終決戦のお題はなんなの?」

 瑠果の問いに、キョーノさんはダンディーな声で答えた。

「トランプだ」

 

 トランプて!!

 

 地球存続が懸かっている戦いがトランプて!! 冗談にも程が……

「トランプで勝てばいいの?」麻柚の声が心なしか明るい。「あんな、鈍感な人が楽しむゲームで勝つだけでいいの? 楽勝だわ」

「そう来なくっちゃ」

 漫画とかでしか聞いたことのない台詞を瑠果が放った。

 おれは呆けているしかなかった。なんなんだこの展開。そのうちそこら辺から「どっきり大成功」の札を掲げたクラスメートが出てくるのではないだろうか。そうに違いない。そうに決まっている。そうでなければ困る。早いところ出てきてくれ。もう限界だ。降参だ。馬鹿げている。助けてくれ。

 そのときだった。

 ドゴオオオオオオオオオオン!! とものすごい振動がした。パラパラと、いやボロボロと天井が崩れて落ちてくる。地震か? こんな地下にいたら潰されるじゃないか。

「ひょえええん」

 ゆるめちゃんがどうしようもなく弱々しい声を発した。振動が止まらない。ゴゴゴゴゴという低い音が響く。

「まずいわ。もうここまで来るなんて……」瑠果も動揺している。「私は平気だけど、みんな早くここから出ないと死ぬわよ」

 わかっとるがな。ていうか「私は平気」ってどういうことだ。

 そういえば、さっきも俺たちの先回りをしていたな。

「お前、地上に出る近道があるなら教えろよ。自分だけ助かろうなんて、卑怯だぞ」

「そんな道があったら教えてるわよ。マユちゃんにも生きててもらわなきゃいけないし」

 え、ないの? 近道。

「とにかく逃げるぞ」

 キョーノさんが一目散に階段へ走っていった。え、お前一番年上なのに、俺たちのこと守ろうとか微塵も思わないわけ?

 ゆるめちゃんも「ひえええん」と泣きわめきながらキョーノさんを追いかけて走る。揺れは止まらない。天井がさらに崩れてくる。欠片がだんだん大きくなってきた。やばい。俺は麻柚の手を掴んで階段へ急ぐ。

 ふと気づいて振り向くと、瑠果は突っ立っていた。

「何やってんだ、お前も早く……」

 言いかけて、やめる。目を疑った。

 瑠果は、まるで「シュッ」という効果音でもつくように、消えた。いや、もしかしたら音もついていたのかもしれないが、この地震の低く響く音のせいで聞こえな……いや、そんな説明をしている場合じゃない。逃げなきゃ。麻柚を引っ張った。階段を駆け上がる。

「み、見た? お兄ちゃん。ルカさんが……」

「今はここから出ることだけ考えろ。死ぬぞ」

 マジでやばかった。ぐらぐらしてバランスを保てず、壁にぶち当たりながら螺旋階段を上る。麻柚がもたついている。暗くて足元が見えないのだ。しかしこの状況でお姫様だっこは無理だ。

 上っても上ってもなかなか終わりが見えない。なんでこんな目に。状況が全く呑み込めないまま死ぬのは納得いかない。

「早く! マヒロくん!」

 上から瑠果の声がした。光が見えた。入り口に瑠果の影。なぜ。ワープできるのかよ。お前が宇宙人なんじゃないのか。混乱。

 ゆるめちゃんが走って下りてきた。なんで、と思ったら彼女は俺の首根っこを掴んで、ものすごい力で引っ張り上げた。い、痛い苦しい死ぬ。首が絞められている。俺は麻柚を離さないように強く抱きしめた。ハイスピードで入り口に向かえるのはとてもありがたいが、俺の脚が階段に打ちつけられまくっている。折れる。折れてしまう。

「っはぁ」

 ぽおんと放り出された。地上へ出た。地面に全身を打ちつけた。

 へとへとだ。多分、体中アザだらけだと思う。麻柚も気をつけの姿勢で地面に突っ伏している。大丈夫か。

 グシャアアアン……と階段の奥底から聞こえてくる。あの地下室は完全に潰れたな。

 不思議なことに、地上には何も影響がないようだった。ビルは普通に建っている。地震さえなかったのかもしれない。ビルの隙間から見える街ゆく人は平然としている。

「基地だけが狙われたのね」

 瑠果が腕組みした。

 うん、そうみたいだな、などと悠長な相づちを打っている余裕はこちらにはない。

「あのさ」立ち上がる力もなく、俺は地面に座ったまま瑠果を見上げた。「頼むから、そろそろ具体的に教えてくれないか。俺たちは何に巻き込まれてるんだ。つーかまず、あれだ。お前は瞬間移動ができるのか」

 瑠果は何か言おうと口を開けたが、ふと何かに気づき、宙を見上げた。

「マユちゃん、しっかりして。来たわ」

「え……、何が……?」

「大魔王よ」

 だからその大魔王て。

 瑠果の見上げるほうを、俺たちも見た。五メートルくらい離れた空中に、なんとなく空間の歪みが感じられる。微かに空気が渦巻いているような。

 その中心あたりが徐々に黒ずんできて、真っ黒な点が現れ、ぼわわんと広がって直径五十センチくらいの大きな黒い円になった。これは物体じゃなくて、穴なのかもしれない。空中に開いた黒い穴。ブラックホール? 直訳しただけじゃねえか俺。特に周りのものを吸い込む様子はないからやっぱりただの黒い穴……まあ名称はどうでもいい。

 さっきの、瑠果が消えたトリックも気になったが、こちらは完全に超常現象としか思えなかった。呆気にとられる。開いた口がふさがらないとはこのことだ。

 さらに決定的なことが起きた。その真っ黒な穴から、白い腕が出てきたのだ。細くて美しい、でも死んだように白い腕。指も細長い。これはとても美しい女性に違いない。

 すっ……と、もう一本の腕も出てくる。ブラックホールはさらに広がり、腕の持ち主の全身が現れた。

 その人は、古代ローマみたいな、白い布を体に巻いた装いで登場した。しかも女性ではなく、めちゃくちゃ整った顔立ちの青年だった。天パなのかパーマネントか知らないが、柔らかウェーブの黒髪ショートボブ。少女漫画なら、絶対に彼の周りにキラキラが乱舞しているだろう。美しすぎる。なんだこれ。男の俺でも見とれてしまうような姿だ。

 ふわり、と彼は地上に降り立つ。

「出たわね大魔王!」

 これまた漫画かゲームでしか聞かない台詞が、瑠果の口から飛び出した。そんな言葉を素で言ってる奴、初めて見た。え、ちょっと待って、この王子みたいな奴が大魔王なの?

 美しい青年は、ふふふと美しく笑った。

「これ最後の勝負なんだけど、君たちヤル気あんのぉ?」

 あれ、喋り方は美しくない。声はきれいだけど。

「トランプ持ってきてくれた? こっちが用意すると、イカサマって言われちゃうっしょー。そういうの嫌だし」

 宇宙人って日本語喋れるのかい。しかもヤル気ない若者風な喋り方。

「あるわよ」

 瑠果が制服のポケットから取り出す。透明のプラスチックケースに入ったトランプだ。いつ用意したんだよ。

「さっき家までわざわざ取りに行ったのよ」

 さっきっていつだよ。

「ほう」美形の大魔王は嬉しそうに目を細めた。「なるほどね。アクガレさんか」

 言うやいなや、見えないくらいの速さで白い腕が動いた。瑠果に向かって何かが伸びた、ように見えた。一秒にも満たないその動きがぴたりと止まる。

 瑠果の胴体を剣が貫通していた。

「ルカ!!」

 自分の心臓が刺されたかのようなショックを受けて、俺は動けなかった。

 ゆるめちゃんが撃たれたときも驚きはしたが、あれは何がなんだかわからないうちに一瞬で終わったし、暗かったし、結局ゆるめちゃんは無事だった。今は、目の前でぐっさり突き刺された、いや突き刺されている、現在進行形の絶望的な状態を間近ではっきりと見ているのだ。また体が震えてきた。なんでこんなことに巻き込まれてるんだ俺は。

 でも俺は気づいた。ゆるめちゃんのときと同じ違和感。また、出ていない。血が。

「ちょっと、危なかったじゃないの。何してくれてんのよ」

 あらぬ方向から瑠果の声がした。

 大魔王の背後にその姿が見える。え、どういうこと、と剣を見ると、刺されていたはずの瑠果はいない。え、どういうこと、と声がしたほうの瑠果を見ようとしたが、その姿も消えていた。え、え、どういうこと。

「マヒロくんは」

「うわっ」

 いきなり耳元で瑠果の声がしたので、俺は肩をビクッとさせてしまった。

「ゆるめちゃんを連れて逃げてほしいんだけど」

 今度は俺の背後に瑠果がいる。こいつ、やっぱりワープできるんだな。

「ゆるめちゃん? どうして」

「足手まといになるからよ」

「あいつ、撃たれても平気なんだから戦力になるんじゃないのか」

「ゆるめちゃんの筋肉は、弾丸は跳ね返せるけど刃物で斬りつけられたら終わりよ」

 なんじゃその筋肉。

「とにかく、逃げて。死にたいの?」

「マユはどうなるんだよ。あいつが心配だ」

「大丈夫。奴はトランプを一番楽しみにしてるのよ。対戦相手を傷つけたりしないわ」

「そんなの、わかんないだろ。もしマユが勝っても、気にくわなくて攻撃してくるかも」

「そのときはそのときよ」

「不安でならないよ!」

「勝負、始めてもいいかなあ?」大魔王が退屈そうに声をかけてきた。「ババ抜きでいいかなあ」

「よかった」瑠果が胸をなでおろしている。「スピードとか言われたらどうしようかと思ったわ」

「ちょ、お前勝算があってマユをスカウトしたんじゃなかったのかよ」

「ミスカシの能力が発揮できる競技になることを祈ってた」

「祈りが通じてよかったな!」

 計画が、ずさんにも程がある。不安すぎる。

 つーか……トランプなんてずっとやってないけど、二人でババ抜きって、相当つまらなかったと記憶しているんだが……。

「んじゃ、君がカード分けて」

 大魔王は麻柚を指差した。だーかーらー、俺の妹を指差すなよ。

「アクガレさん、トランプをくれよ」

 今度は瑠果を指差す。お前、失礼なんだぞ、人を指差すのは。ていうか、さっきから言ってるそのアクガレって、ワープの能力のことなのか?

 瑠果が、手に持ったままだったトランプを麻柚に投げ渡す。キャッチした麻柚は、口角を上げ、歯を見せずに笑った。

 その顔を見て、俺は少しだけ心に余裕ができた。俺にしかわからないだろうが、麻柚のあの笑顔は「バカにしてんの? 楽勝なんだけど。仕方ないから付き合ってやるけどさー」という感情の表れである。この状況でもっと意訳するとすれば、「どのカードがジョーカーか見えちゃうあたしにカード配らせていいわけ? もう完全に勝利確実なんだけどー」となる。伊達に約十三年一緒にいるわけではない。妹のすべてを理解できるわけじゃないが、あの表情については間違いない。

 ジョーカーを相手に渡して、最後までそれをひかなければいいのだ。確かに麻柚が勝って当然のゲーム。大魔王が幻術とか魔法とか使わない奴であれば、の話だが。

 麻柚が、大魔王、自分、と交互にカードを配った。

「んじゃ、始めよっかー」

 顔はすごくかっこいいのにすごくヤル気のない大魔王の声で、ゲームスタートが宣言された。

 大魔王と麻柚は二メートルほど離れて向き合って立ち、黙々と、手持ちのカードから同じ数字のペアを地面へ落としていく。いいのか、それ瑠果の私物らしいけど。汚れるぞ。

 瑠果を見ると、平然としていた。ああ、汚れてもいいのね。

 あれ? そういえば……、人が少ない。

「ろひかお? マヒロくん」

 きょろきょろしていたら、ゆるめちゃんが何か言ってきた。なんだって? ロヒカオ? また何か能力持ちの呼び名か?

 違うな。多分「どうしたの」が前歯のせいで発音できないだけだな。

「キョーノさんがいないぞ」

「あー、いげかよ」

「何?」

「いげか」

 いげか? ……逃げた?

「逃げたの!? あの筋肉ムキムキの男が!?」

「うん。キョーオはん、かかかっかここあいよ」

 説明してくれるゆるめちゃんが何を言っているのか考えるのにかなり時間を要したのだが、俺の解釈が正しければ、「キョーノさんは戦ったことないよ。キョーノさんは、目の前にいる人が能力持ちかどうか、どんな能力を持っているかを見極める力を持っているだけ」とのことだった。

 なるほどね……。不良品ほどぎゃあぴい騒ぐ、なんて人を馬鹿にしておいて、自分は騒ぐ余裕もなく逃走したわけか。

 それにひきかえ、逃げろと言われても妹を残していけずにここにいる俺って、男前じゃないか? えっへん。

 と思ったとき、瑠果が声を潜めて俺に話しかけてきた。

「ちょっと。早く逃げなさいよ」

 まだ言ってるよ。

「ゲームが終わるまでは安全なんだろ?」

 俺はまだ地面に座ったままだった。麻柚を置いていくことはできないし、もし逃げようと思ったって、脚が痛くて立つのもままならない。

「トランプに関係ない者は目障りだからって排除されるかもしれないわよ」

「なんじゃそりゃ」

「そこ、うるさい」

 大魔王の声が飛んできた。

 と思ったら、俺の視界が真っ黒になった。

『ま、マヒロくん!』

 瑠果の声がする。壁を隔てた向こう側から聞こえるような、遠い声。

 いや、実際に壁があった。俺は、最近ほとんど見ないアレ、そう、電話ボックス……くらいの大きさの、箱に閉じこめられてしまっていた。

 壁は真っ黒。完全に遮断され、外の光は全く入ってこない。視界は完璧なモノクロだ。

 目の前……電話ボックスで言えばちょうど電話が設置されている辺りに、ぐちゃぐちゃに絡まった無数の配線があった。あとペンチも。

『マヒロくーん!!』

 瑠果が外側で叫びながらガンガン箱を叩いている。やめろ。音がめちゃめちゃ響いて頭がガンガンする。

『大丈夫!?』

 やめろってば。

 箱は床としっかりくっついていた。材質は、音の響きからすると木製みたいなのに、触ってみると金属のように冷たい。体当たりなんかでは到底破れそうにない頑丈なもののようだ。大魔王が魔法みたいな能力で出現させたんだから、地球人の知っている素材じゃないのかもしれない。

 そこに、のんびりした大魔王の声が重なる。

『君、君、アクガレさん。そのブースあんまし振動させないほうがいいよ、爆発するよ』

『え!?』

「え!?」

 まじかよ、やめてくれよ。

『中の少年、真っ暗で見えないだろうけど、君の目の前にぎょうさん導線があんのよ。それの緑以外を切ったら死ぬでー』

「ええ!?」

 マジで言ってんの? マジで言ってんの!?

 箱の材質は異次元っぽいのに、なぜそんな現実的な仕組みに俺の命が懸かってるんだ。生死に関わる状況なので、ふざけた関西弁については触れないでおくぞ。

『緑の導線だけを全部切ったら、そこから出られるようになってるんで、頑張ってみてー』

『お兄ちゃん!』

『おっと、君はこれからトランプするんだよ、ここにいて』

 声しか聞こえないのがもどかしい。でもわかる。絶対に今、大魔王は俺の妹を指差している。

『君がゲームを放棄するなら、こっちが不戦勝ってことで、地球は消えちゃいますけどいいの?』

『う……』

『地球とお兄ちゃん、どっちが大事なの?』

 そんな質問があるか!

『地球です』

『よし』

 ちょっと待てーーーーーい!! 麻柚!! 即答かよ!!

『マヒロくん、だめよ!』瑠果の声がする。『導線まだ切らないで!』

 切ってないし。

 切れるわけがない。視界がモノクロなのだ。色が判別できない。

 シュッ、と風のような音がした。

「これ」

「うわっ!」

 背後に瑠果が現れた。せ、狭い。

「これを使って」

 何も見えないらしく、ちょっとズレた方向に差し出されたのは懐中電灯だった。

「え、お前こんなもん持ち歩いてんのか」

「家から持ってきたのよ、今。まだわからないの?」

 そうか、ワープね。

 俺は懐中電灯を受け取り、スイッチを探して点けた。

 光が当たる部分だけが色を取り戻す。瑠果や俺の顔を直接照らすわけにもいかないので、下の方から天井に向けて照らしてみた。

「やめてよ、おどろおどろしくなるから」

「……ごめん、それ、俺よくわかんないんだよね」

「顔が幽霊みたいに浮かび上がるのよ、この照らし方だと」

「まあ確かに変なところだけ色がついててピカソみたいだけど」

「……まあ、いいわ」

 瑠果は説明を諦めた。なんか、切なくなった。今までずっと、俺は自分を一般人だと思っていたのに、みんなと共有することができない感覚があるんだと知ってしまった。

 あー、ダメだ。気持ちを切り替えよう。

 気になっていたことを質問してみる。

「ルカはなんでワープできるんだ?」

「練習したのよ」

 練習でできるようになるのかよ。

「生まれつき幽体離脱ができる体質だったの。初めはそれだけ。意識を飛ばして、いろんなこと調査してたのよ。でもそのうち、飛ばしてる意識が私の姿になって一般人にも見えるようになってるって知って。それで師匠に教わって、意識の先に移動する能力を二日で会得したわ」

「二日……って、すごいんじゃないのか」

「すごいわよ。天才的よ。しかも学校にはちゃんと行ってたんだから、正味十時間ってとこね。……ねえ、こんな話は後でもできるわ。導線とやらを照らしてみてよ」

「ああ」

 そうだった。俺は言われて今の状況を思い出す。命が懸かっているんだった。現実離れしたことばっかり起きて、なんだか夢の中にいるようで頭が働かない。

 俺は絡まり合う線の群れにライトを当てた。瑠果はふむふむと頷く。

「マヒロくん、緑はどれ?」

「え?」

 俺はぽかんとした。

 ほとんど全部が、緑だった。いや、青か。とにかく同じ色のコードだ。

「これ……」

 ほぼ全部切れということか?

「ダメね」瑠果は俺の表情を読み取ったようだ。「これ、マヒロくんには切れない。大魔王はマヒロくんが色覚異常だって知ってて遊んでるんだわ」

「そんな」

 多分、緑と青って、違う色なんだな。俺には見分けがつかないのだ。緑だと思って青を切ったら爆発する、というわけか。

 色が若干違うのは、なんとなくわかる。ただこんなにごちゃごちゃに絡まっていると、何がなんだかわからない。オレンジや黒も少し混じっている気がするが、俺には紫が黒に見えるらしいから、もう自分の感覚は信じられない。

「マユちゃんの試合も監視してないと不正があるかもしれないし、行くわね。少ししたらまたここに戻るわ」

「え、俺はどうすればいいんだよ」

「マユちゃんが勝ったらここに戻って、緑を切ってあげるわよ。まったく、こういうことになるから早く逃げなさいって言ったのに。あなた一人より、地球を守ることを優先するわ」

「冷たいな」

『ちょっと、アクガレさーん。もしかしてブースの中?』

 大魔王の声がする。

『言っとくけど、のんびりしてると君もドカンだよ。あと三分以内に導線切らないと、爆発するからねー』

「三分!? 嘘でしょ!?」瑠果が明らかに動揺している。「時間制限があるなんて言ってなかったじゃない! 私、死にたくないわ」

「俺だって死にたくないよ! どうしたらいいんだ」

「マヒロくん、導線は切っちゃだめよ。何もしなくていいわ」

「おい、まさか俺を死なせる気か?」

「その本数を三分で全部切るなんて無理よ。今ここで慌てて作業しても、違う色の導線に傷をつけて爆発しかねないもの」

「助けてくれないのかよ!」

「大丈夫よ」

「何が!」

「呼んでくるわ」

「何を!」

「待ってて」

「ルカ!!」

 瑠果は逃げるように、シュッと消えた。いや、逃げたのだ。

 ……見捨てられた。

 あと三分で、俺は死ぬのか?

 いきなりの絶望。

 ゆるめちゃんや瑠果が、死んだと思いきや平気だったという場面を何度か見てきた。俺も簡単に助かっちゃったりするんだろうか、と恐怖で麻痺した頭で考えてみた。

 だめだ。二人は特殊能力があるから死ななかっただけだ。俺はただの凡人じゃないか。それどころか色覚異常というハンデがある、足手まといでしかない。俺はここで死ぬんだ。コッパミジンになって。

 こんなことをぐるぐる考えているうちに、多分、一分半は経過してしまった。いっそ運にまかせて緑に見える線を切ってみようか。何もしないで死ぬなら、何かしたほうがいい。

 ペンチを持つ。手が震える。

「バカなことすんじゃないよ」

 耳元で元気な老婆の声がして、俺はペンチを放り投げた。

「だっ、誰だよ!!」

 

5■木曜日のアルバイト〈5〉へ続く

 

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